強い劣等感をに苦しみながらも、
努力や成長といった健全な手段によって補償する勇気がない。
かといって、「AだからBできない」とういう劣等コンプレックスでも我慢できない。
「できない自分」を受け入れられない。
そうなると、人は、もっと安直な手段によって、補償しよう、と考えます。
あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸るのです。
これが優越コンプレックス。
優越コンプレックスの一つ「権威づけ」は、
自分が権力者と懇意であることをことさらアピールすること。
それによって、自分が特別な存在であるかのように見せつける。
根底には強烈な劣等感がある。
権威の力を借りて自らを大きく見せている人は、
結局他者の価値観に生き、
他者の人生を生きている。
また、劣等感そのものを先鋭化させることによって、
特異的な優越感に至る不幸自慢も優越コンプレックスの現れ。
不幸自慢とは、生い立ちや、自らに降りかかった不幸を、
まるで自慢話する可能ように語ること。
不幸であることによって「特別」であろうとして、
不幸である一点において、人の上に立とうとします。
自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。
自らの不幸を「特別」であるための武器として使っているかぎり、
その人は永遠に不幸を必要とすることになります。
「嫌われる勇気」より