【人は変われる】問題は「なにがあったか」ではなく、「どう解釈したか」である。

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過去の「原因」にばかり目を向け、

「原因」だけで物事を説明しようとすると、

話はおのずと「決定論」に行き着きます。

すなわち、われわれの現在、そして未来は、

すべてが過去の出来事によって決定済みであり、

動かしようのないものであることになる。

「原因論」の住人であり続けるぎり、一歩も前に進めません。

アドラーの心理学では、「目的論」に立ち、

過去の「原因」ではなく、

いまの「目的」を考えます。

われわれはみな、なにかしらの「目的」に沿って生きている。

そして、過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、

自らの生を決定している。

人生とは誰かに与えられるものではなく、

自ら選択するものであり、

「自分がどう生きるか」を選ぶのは自分である。

「原因論」に立つと、

過去は変えられず、

過去がすべてを決定し、

今日を生きるわれわれは人生に対して

なんら有効な手立てを打てなくなってしまう。

その結果、世界に絶望し、人生を諦めるに至る。

「目的論」に立つと、

過去にどんな出来事があったとしても、

そこにどんな意味づけをほどこすかによって、

現在のあり方が決まってくる。

過去には支配されない。

問題は「なにがあったか」ではなく、

「どう解釈したか」である。

もし、人間が変われる存在だとするなら、

「原因論」に基づく価値観などありえず、

「目的論」に立脚せざる得ないんです。

嫌われる勇気」より

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