「嫌われる勇気」から知る紀州釣りを楽しむためのアドラー心理学

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はじめに

岸見一郎さんのアドラー心理学を対話形式で紹介した本「嫌われる勇気」に出会ったのは今年の1月。

その後すぐに出版された続編「幸せになる勇気」も中身が濃く、何度も読み返していて、2冊の表紙はボロボロ、折り目だらけとなってしまいました。

嫌われる勇気・幸せになる勇気

アドラー心理学はフロイト、ユングと並び心理学の三大巨頭と称されるている「心理学」です。

この本を読み進めた時、アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言していることに興味を持ちました。

裏を返せば、幸福もまた対人関係の中にある、と。

対人関係が苦手な私にとって釣りを楽しむ上でこのアドラー心理学の考え方が役立つんじゃないかと思いました。

なぜなら一人で釣りをやっているようでも、やっぱりそこには人間関係が存在し、悩みが発生するからです。

この本の中で紹介されている承認要求の否定や、課題の分離という考え方について自分なりに釣りとの関連性を考えてみました。

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承認要求の否定

承認欲求とは他者に認めてもらう欲求のことで、アドラーは承認欲求を否定しています。

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」ということです。

釣りに関して例えるなら、釣り場のゴミを拾う時、承認要求を持っている人は他人が見ているからゴミを拾い、他人が見ていなければ拾わない、といったことになります。

純粋に釣り場を綺麗にしたいと考えるなら、誰も見ていなくてもゴミを拾うはずです。

私は誰も見ていなくてもゴミを拾う釣り師になりたいと思います。

また、魚を釣った時に自慢したいと思う気持ちは釣り師として抑えがたい衝動ですが、大声をあげて他人にアピールするのは明らかに承認要求の現れなんじゃないでしょうか。

他人から承認されるために釣りをしている訳ではないので、魚が釣れたら心の中でガッツポーズ。

そして、なぜ釣れたのかを考察し、釣りそのものの行為を楽しみたいと思います。

後は釣れた魚に感謝です。

課題の分離

課題の分離とは、対人関係の中で起こる課題が誰の課題なのかを分別し、他人の課題に踏み込まないこと、そして自分の課題には他人を踏み込ませないようにすることです。

こうすることで対人関係の悩みは劇的に少なくなると説いて、アドラー心理学の出発点でもあるようです。

釣りに応用すると、釣り師が並んで釣りをしている時、釣りを楽しめなくなる原因として他人の釣果が気になったり、他人の迷惑な自慢話を聞かされたり、異常なまでの釣り座の接近などがあるんじゃないでしょうか。

このような問題に対して課題の分離を意識すると、他人の釣りはその人の課題、私の釣りは私の課題なので、他人の釣果を気にする必要がありませんし、自慢話を聞かされることが不快なら相手にしない、釣り座への異常な接近に対してはきちんと相手に伝えることができます。

課題の分離ができていれば、他人が釣れていて自分が釣れない時でも嫌な気分になることなく、他の人が釣れていることに対して敬意を持つことにつながるのかなと思います。

まとめ

嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」において、承認要求の否定、課題の分離は出発点であって、この考え方を基にしてどうすれば幸せになれるかという議論が展開されていきます。

釣り師にとって釣りを楽しむことが幸せなこと。

釣りを本当の意味で楽しむヒントがアドラー心理学から見つかればいいなと思っています。

以上、理解不足な点もあると思いますが、釣りに行けない時間を使ってあれこれ考えてみました。

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